ごあいさつすわりゅう たかじょうとはすわりゅう ほうようじゅつ ほぞんかいこうしゅうかいのごあんないしりょうかん
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1.活動の風景
 写真記録
 技の披露
 狩場の風景
2.海外の風景
 イギリスの鷹狩
 ・第一回鷹狩の祭典
 
3.史料の保管
 日本の鷹狩文化
 海外の鷹狩文化
 交流の記録



お鷹の道
尾張徳川家の御鷹場の名残として、東京都多摩地域の国分寺周辺に残されています。
清らかな湧水が流れており、武蔵野の風情を伝えてくれる小道として今もなお散策路として多くの人々に愛されている様子が感じられます。好きな季節に一度訪れてみられることをお勧めします。


鷹合神社
大阪市内にある神社で、牛頭天王社とも呼ばれているようです。
創祀された時期が新しいため鷹狩と直接の関連性はないと思われますが、かつて仁徳天皇が設置した鷹狩のための部署、鷹甘部(たかかいべ)があったという地名が神社の由来となっています。百済と関連する歴史を伺わせる場所の一つで、酒君塚から徒歩で数分の場所にあります。


策の池
新宿区荒木町にある「策の池」は、異説もありますが、徳川家康が鷹狩の帰りに策(むち)を洗ったことから、策(むち)の池と呼ばれています。馬のムチではなく鷹の策(ぶち)であったのではないかと想像されるところです。現在は縮小され往時の面影はあまり残されていませんが、地元の方にはカッパ池あるいは津の守弁天として今もなお愛されています。


平荘湖
兵庫県加古川にある湖。戦前は宮内省退職後の小林鷹師が鴨場をつくるためにここに勤めたと言われています。今はダムになり面影を偲ぶことはできません。
近くには小林夫妻のお墓があります。


酒君塚
日本書紀によれば、西暦355年渡来人である酒君が訓養したタカ(種類不明)を使用して仁徳天皇が大阪の百舌野で狩をしキジを捕ったと言う記録が日本の鷹狩の起源であるとされています。日本書紀の内容や鷹狩の起源については諸説あるところですが、天皇による放鷹に関する公式な最初の記録とされています。酒君のその後は明らかではありませんが、大阪には現在も酒君塚古墳が公園となって残されています。


鷹の茶屋
浜離宮恩賜庭園内にあった鷹の茶屋の写真。徳川将軍家の浜御殿であった頃、将軍が鷹狩に訪れた際にはここで休憩されたと言われています。大戦の時に消失し、現在は礎石と写真のみが残されています。


鴨鋤道具(撮影:SFI)
宮内庁接待鴨猟では、鴨場で捕った鴨をその場で鋤焼にして頂いていました(現在は合鴨使用)。
昨年閉店した「かも苑」の創業者関口氏は故花見先生と友人であり、鴨の脂をひいた鉄板で焼いた鴨肉とネギを、大根おろしと生醤油で食べるという宮内庁と同じ調理法を楽しむことができました。鴨鋤用の鉄板には様々なサイズがあり、これは二人用です。


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