ごあいさつすわりゅう たかじょうとはすわりゅう ほうようじゅつ ほぞんかいこうしゅうかいのごあんないしりょうかん
TOP > 御鷹場通信
御鷹場通信は諏訪流放鷹術研究所 所長のブログです
管理用 ID
パスワード

数値2009年 7月 04日 (土) 18時 50分
 実物大の再現という企画が増えていますが、数値が人によって特定の意味を持つことはよくあることです。たとえば18mという数字、電車好きな人なら車両の長さを考えるでしょうし、アニメファンなら世代によって鉄人28号、マジンガーZ、そしてガンダムなどを思い出すでしょう。なぜみな同じ18m?と思うのですが、200mなどあまり大き過ぎても嘘っぽく、小さくては乗ってみたい、と憧れるのに十分ではないのかもしれません。
 鷹匠にも意識する距離があり、鷹が飛んでくる時、狩場で寄せる時、そして隼の訓練時の高さなどを目測で判断します。たとえば5m手前、電柱より上、などといいった表現です。電柱の長さは地域によってまちまちのようですが、専門の人に聞くと14mが多いそうなので、その上を飛べば15m位と考えることができます。しかし実際の訓練では目に見える数値より大事なことの方が多く、頼りすぎると数値に踊らされてしまうこともあるので注意が必要です。平均値はあくまで目安にすぎないのが人間を含めた生物の面白い所です。
 先日都内での用事の帰りにお台場に寄ったのですが、林の中にあるそれは案外目立たなかったため見つけるのに時間がかかりました。そういえば林に隠れた作戦行動もあったことを考えると妥当な高さなのかもしれないなぁ、と妙に納得しました。
完成間近のガンダムRX78-2

日光浴2009年 6月 26日 (金) 19時 31分
 道端の石の上にシマヘビが寝そべっていたので写真を撮ろうとしたら石の隙間に素早く逃げられてしまいました。マンネングサやツツジの上で日光浴する姿を見かけたこともあります。泳ぐ姿など、足がないのにヘビは驚くほど速く動くので不思議です。
 激しい雨と蒸し暑い晴れの日を繰り返し、夏が近づいて来ます。体調を崩しやすい時期でもありますので、最近は意識して食事に気をつけるようになりました。
 鷹は鈴付と呼ばれる真ん中の尾羽2枚が抜け、新しい羽根の軸が少し開き始めて来ました。最初は濃い灰色なのですが、やがて日焼けして薄くなっていきます。暑さに弱いとはいえ、十分な日光浴をしない鷹は足や嘴の蝋膜が黄色く丈夫にならないので、直射日光を避けながら適度に光を与えてあげなくてはいけません。鷹部屋に入れていても屋根から光が入りますので、日光浴が可能ですし、驚かさないように餌の与え方に気をつければ体重を上げてもリラックスした状態を維持させることができます。この時期の鷹はかゆいのか、しきりに水浴びをしたがります。羽根が抜ける瞬間はきっと気持ちいいのだろうなあと思います。
コモチマンネングサの花

お鷹の道2009年 6月 20日 (土) 22時 51分
 今年は多くの作家の生誕100周年が重なっているようで、関連した全集が多く目につきます。太宰治というと高校時代を思い出しますが、多くの作品を読んだはずなのにあまり今は手に取らなくなってしまいました。師匠である井伏鱒二との紙上でのかけ合いなど、有名な著作と関係ない部分が記憶に残っています。あえて何が好きだったかと言うなら「斜陽」のかつて裕福だった家族の優雅でおっとりとした会話や感覚が、なんとなく青森の地主の家に生まれて幼少時代は何不自由なく過ごしたという母の姿に重なって面白く感じていました。
 太宰が晩年に暮らした三鷹は、徳川将軍家及び御三家の御鷹場の村々が集まっていたことがその由来とされ、中央高速上り方面に設置されている標識も台架に止まったオオタカのようなデザインになっています。個人的には関連したグッズがあればいいな、と思ったこともありますが、実際あるかどうかは確認していません。
 太宰が入水した玉川上水は多摩川上流から新宿まで繋がる上水路で、今では水量が減り、膝下まで無いほどの小さな流れです。しかし川岸は緑地が保存されており、散策路として多くの人に親しまれているようです。国分寺に下ると、尾張徳川家の鷹場の名残として「お鷹の道」が残されています。湧き水の清らかな流れが残された細い小道に過ぎませんが、かつて徳川家の人々が実際に近辺を訪れて鷹狩を楽しまれたかと思うと不思議な気持ちになります。おそらく太宰にそのような思いはなかったと思いますが、100年前の三鷹にはもう少し武蔵野の風情が残されていたことでしょう。
お鷹の道入口

ビズラ百態2009年 6月 18日 (木) 23時 46分
 元気になった私の犬と散歩中に川を渡ったら、川底を流れるウシガエルを踏んだらしくぴょーんと飛び上がって驚いていました。その後くわえようとして水をたくさん飲んでいました。私の犬は比較的のんびりしてた性格ですが、母犬はせっかちでカミナリが大嫌いです。同じ兄弟でも様々な個性があるようで、それを聞くのは面白いものです。
 たびたび取り上げているカエルにも個体差があり、ガマガエルには山から下って来るものと川から這い上がって来るものがいるようです。このような違いがあるから環境への適応に幅を持たせることができるのではないかと思います。人間も最終的には自分に適した環境を選ぶのではないでしょうか。
 長年都内に住んでいた知人が海沿いの田舎に引っ越すと聞いた時、まさかと思いましたが今はそのための準備を楽しんでいるようです。私もいつか気に入った場所や生き方に到達するのだろうと信じて、その日を楽しみにしたいと思っています。
昼寝するビズラ「サラ」

初夏に思う2009年 6月 16日 (火) 15時 08分
 ホトトギスの声が夜間にも響きます。まるで生き急いでいるかのように一日中鳴いているのは、この世に生きる存在の証なのでしょうか。夏は人間にとっても短く感じられるものですが、なぜかせきたてられるような気分になります。
 三沢光晴さんが急逝されたことを13日の夜にネットで、そして翌朝のニュースで知りました。子供の頃のヒーローだっただけに、驚きとともに一つの時代が終わったようで寂しく思い、知人とその話をしました。体調が悪くても責任感の強い人ほど仕事を休めないものですが、時には誰かに頼っても良いのではないかと思いました。最期まで現役でいるということを理想と思えば、潔い幕引きを見せてくれたと言えるのかもしれませんが、才能のある方だけにまだまだやりたいことは沢山あったのではないかと思うと残念です。三沢さんのご冥福をお祈りいたします。
 このところ身の回りでも体調不良や病気の話を聞く機会が増え、気懸りが増えるだけでなく自分も気をつけないといけない世代になりつつあるのかと気づかされます。10代の頃には思いもしなかったほど命は日々重くなっていくようです。この先の人生も悔いなく過ごせるように、体調に留意しながら自分らしく生きる道を模索したいと思います。
今年のアジサイ

御射山神社2009年 6月 08日 (月) 21時 22分
 地元の歴史家の方々と会う機会があり、諏訪に行って来ました。以前から交流のあった方が今年亡くなられ、諏訪神社に関する知見を聞けなくなったことが寂しく感じられます。諏訪信仰に限らず、長い歴史を持つ信州には様々な研究や解釈が存在しており、地元の方に言わせると頑固な方の多い土地柄だそうです。信州に限りませんが、私のようなよそ者を受け入れてくれるようになった時の感慨はひとしおです。帰り際、車が見えなくなるまで手を振ってくれた姿にじーんとしました。
 ついでの折にと、上社下社の御射山神社に参拝して帰りました。諏訪神氏一族の伝承の経緯や放鷹に面した神野(狩場)の風景といった面から考えると、上社の御射山の方がより贄鷹との関連が深いように思われるのですが、鎌倉時代に武士が集まる競技場として存在したとされる下社の御射山(現在の旧御射山)の役割も面白く感じられます。
 上社の御射山が低い丘陵が連なる里山にあるのに比べて、下社のそれは山頂にあり、深い霧がたちこめていました。地形的に狩りの見せ方や獲物の種類が限られてしまうことから、明らかに儀礼的な意味が強いように見えましたが、縄張り宣言を行うキジの声や、姿は見えませんでしたがオオジシギ(カミナリシギ)の声を聞くことができました。霧が晴れれば独特のディスプレイが見られたかもしれません。
下社の(旧)御射山神社

モリアオガエル2009年 6月 02日 (火) 21時 46分
 月が変わり、サンダルで過ごせる季節になりました。今年もすでに半年が過ぎたかと思うと、何を成したか思い出せないほどに月日がたつのが早くなっているように感じます。嘆いていても仕方ないので、鷹道具作りに勤しんでいます。
 今年もカエルが騒々しく鳴き始めました。昨年よりメスのカエルの数が少ないようで心配していましたが、徐々に卵塊が増えてきました。ちらっと覗いてみたら、一つの木に3匹のオスがつかまっていました。が、メスはいませんでした。オスに比べて慎重なのか、なかなか見つけられないでいます。
 年によって多少の差異があるとはいえ、卵の増減をカエル自身が考えて行っているとしたら、自然の影響を受けているのではないかと思います。人間も感覚的な行動には意味があるのかもしれません。
オスのモリアオガエル

動物文学22009年 5月 31日 (日) 11時 39分
 以前取り上げてくださった方から、動物文学誌に再び鷹狩に関するお話が掲載されたというお手紙と掲載紙を頂きました。仕事と両立させながら修業に勤しむ現代の鷹匠の姿が生き生きと描かれています。なにより鷹匠に対する深い愛情が感じられました。何度も取材にお越しくださった熱意に心より感謝申し上げます。
 鷹匠として生活することは難しいということはわかっていますが、門下生たちは皆、生きがいとして大切に思っています。鷹狩というのは獲物を追う以上に、鷹を飼うことに神経を遣うものであるため、技術が高くなるとともに勘が鋭くなっていくような気がします。
 逆に仕事になるような生きがいを見つけることなどできるのだろうか、と思うことがあります。たとえ野球で大学から社会人、プロと進めたとしても40歳まで続けられる人はほんのわずかです。しかし、その後の人生を考えて一生続けられることを前提に仕事を探すとするなら、夢を見る機会さえ失うことになるのではないでしょうか。とりあえず悔いのない人生であれば十分ではないかと思っています。
動物文学誌第47号 (c)動物文学誌協会

中原街道時代まつり2009年 5月 28日 (木) 6時 11分
 5月24日、川崎市民ミュージアムにおいて、中原街道時代まつりが開催されました。インフルエンザの影響や前夜から降り続く長雨のため、直前まで開催が危ぶまれていましたが、関係者の努力もあって予定通り実施される運びとなりました。
 昨年より若干気温が下がったとはいえ、高い湿度やカラスの妨害、毎年異なる実演会場のレイアウトなどの諸問題のため、今年もお世辞にも良い出来とは言えない結果で今季を終える形になってしまいました。  が、反省ばかりの昨年と異なり、良かった点、改善すべき点などがだいぶ明らかになってきたように感じました。私の鷹は調子良く仕上がって来ていたのですが、直前にカメラマンや犬の動き、サッカーの応援等に驚いたため、予定していた技の披露には至りませんでした。それでも来季はもう少し良いところが見せられそうな手ごたえはありました。冬季の実演とは異なる様々な困難に対応するため、来年は披露内容等に対し、大胆に改善を行いたいと反省会を行いました。
 今回の実演に際し、主催の中原区役所、NPO法人日本伝統文化福祉振興協会の関係者の皆様には多大なる御配慮を頂き、心より感謝申し上げます。毎年この催しを盛り上げるため、地元の女性が中心となって精力的な活動を行っていることに頭が下がります。私の紫の絆取もこちらの有志の方があつらえてくださったもので、敬意を表して着用させて頂いております。また遠路はるばるお越しくださった俳句の会の皆様、誠にありがとうございました。
今年のおいらん役に選ばれた女性


ユキノシタ2009年 5月 22日 (金) 23時 23分
 人間もそうですが、鷹にも機嫌の良い時、悪い時があり原因はわかりやすいことばかりではありません。機嫌が悪くならないように心がけるのが一番ですが、そうもいかないのが現実です。逆にとても機嫌が良いのにこちらにつきあう時間がなくて訓練ができないと、腑に落ちない顔をされたりしたうえ、翌日機嫌が良くない場合もあります。常に都合を合わせるというのは難しいものです。それでも鷹と同じことを考えている、と思える瞬間はとても楽しく、そのために辛いことも我慢していると言ってもいいかもしれません。
ユキノシタの花
以前の記事


はんばいどころおたかばつうしんいたくぎょうむおといあわせ