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御鷹場通信は諏訪流放鷹術研究所 所長のブログです
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2008年 8月 18日 (月) 16時 09分
 連日放送される北京オリンピックのおかげで夜更かしが続いています。柔道やバレーボール、野球など興味のある競技を優先してしまいますが、それ以外の普段見られない様々な種目で活躍する選手を見られるのも楽しみのひとつです。メダルに手が届いた人も届かなかった人も、日本代表となるために厳しい練習をこなしてきたことを思うと、視聴者だからといって気楽に評価できない気分になります。そこにたどり着くまでの強い目的意識と、目的を達成するための絶え間ない努力や忍耐力が察せられるからです。
 日本人の好む言葉の一つに「道」があります。儒教的な教義以上に様々な意味を含んでおり定義することが難しい一方で、一般に感覚的な言葉として広く定着しているため、武道や競技に限らず、時には料理など自己の専門的な技術を極めようとする人々が好んで使うようです。いずれの文化においても、心身を鍛えようと努力する者は、求める方法は異なっても最終的に同じ感覚にたどり着くような気がします。
 肉体を思うように動かすには平常心が必要であり、いつも以上の力を出すためには平常心を超えた強い精神力が必要であるように思います。それは放鷹術においても同じであり、鷹匠自身が努力しなければならない部分は沢山あると感じています。どのような場面や状況においても反応できる肉体と精神のバランスが大切ではないかと思いました。
樹上のモリアオガエル

合宿2008年 8月 12日 (火) 22時 54分
 うだるような蒸し暑さが続き、鷹の食欲も下がり気味です。真夏の活動は文化講座を中心に実施しております。今月は門下生の個別の質問に対応した講義・実技と、鷹師による野草ガイドを実施していただくため、1泊2日の林間合宿を行いました。
 当日は門下生たちが炭や食材、各種お酒等を持ち寄り、バーベキューを行いました。鷹犬も集まり、門下生同士の交流を図る良い機会となりました。翌日は鷹師から傷みや出血を止める様々な薬草などを教えていただきました。
 猟期前になると鷹の調教で忙しくなり、また先代の花見先生もおっしゃったように鷹に接する時は飲酒してはいけないため、調教中は断酒する者も少なくありません。それは飲酒により鷹匠の感覚が鈍り、繊細な気遣いや瞬間的な判断が遅れることを戒めるためです。たしなむ者にとってはつらいところですが、おかげで痩せた、毎日長時間歩くことで体調が良くなったなどの声も聞かれます。
キャンプの様子

寄贈品2008年 8月 07日 (木) 14時 57分
 今年4月に敦賀市で実施致しました講演及び放鷹術披露において、ご観覧くださった方の撮影された写真が市美展で議長賞を受賞されたということで、当保存会にその写真を寄贈してくださいました。御礼に受賞作とは別パターンをここに紹介させていただきます。
 実演会場ではプロ、アマチュアを問わず多くの写真家にお会いする機会があります。私たちを素材として、皆様が美しい作品を生み出してくださるならこれほど嬉しいことはありません。同じ対象物を扱ってもそれぞれのカメラマンの個性や美意識によって異なる作品になるというのが、写真の魅力の一つであるように思います。
 鷹匠としては鷹とともに「静」を表すような写真が好きなのですが、一般的には「動」を表すような写真が好まれるように感じます。いつどこでどのようなシーンを撮られても気にならないような居ずまいと身のこなしを鷹とともに身につけたいものです。
兄鷹諸塒の雲路 (c)杉原純子

ビオトープ22008年 7月 31日 (木) 1時 03分
 とうとう足が出てきたばかりのモリアオガエルのオタマジャクシを見られました。朝に足を出したところを水中で確認できたと思ったら、なんとその日の夕方にはカエルになって池をよじ登り、しばらくの間、身体を馴らすようにジッと葉先で休むと、いつのまにか木立の上などに消えていきました。突然の変態に驚きつつ、蓄えてきた力を放出するように、まだとても小さくて未熟なうちから広い世界に飛び出していく彼らの強い生命力に感動しました。
 若い鷹は時にとまどったり、自信を失ったりすることがあります。人間を含めて、知能が高い動物は外界に出ることにためらいや恐れを感じるのかもしれません。それでも鷹は意を決し巣から飛び立ち、巣の周りで枝移りをしたり、短い距離を飛んでみたりしてしばらくは巣のそばで練習を繰り返すと、やがて巣山を離れて飛び立っていくようです。
 人間の場合はいつ巣立ったのかうやむやに時を過ごしてしまったり、大人にならずに自分の殻に閉じこもったまま生涯を終える人もいるような気がします。巣立ちという段階が未熟な状態であるように、完全な状態からの自立というものはありません。足りない部分は外界に出ることで学びながら経験として身につけ、成長していくものなのでしょう。人間は助けを乞えば、きっと誰かが助けてくれるものですから、他の動物に比べるとリスクが低く、ゆっくり成長できるように思います。
シソの葉の上でひと休み
 両生類にもそのような感情があるのかはわかりませんが、生き残るカエルの処世術をずっと見守っている人ならわかるのかもしれません。

日暮2008年 7月 27日 (日) 23時 20分
 ヒグラシの声が聞こえるようになり、本格的な暑さが到来しました。小柄で薄い羽根を持つその姿は見えなくても、明け方や夕暮れを告げるような澄んだ響きは、夏があっという間に過ぎていくことを思わせるようで感慨深いものです。私は夏の終わりの暑くもなく肌寒くもない生ぬるい風が吹くような日の黄昏が好きなので、しがないその日暮しながら風の訪れを楽しみに待っています。
「日暮の門」というと、日の暮れるのも気づかずに見とれてしまうほどの美しい門をあらわし、特に日光東照宮陽明門の異称であるそうです。その情景に自分が佇んでいる姿が想像されるような美しい言葉だと思います。実際に陽明門を目の当たりにすると、スギ林の深い緑の中に人間の仕業とは思えないほどの複雑で精緻な彫刻の数々が集約されており、眼を伏せたくなるほどの才能に魅了されます。時には黄昏の陽ざしの下で眺めてみるのも趣があるかもしれません。
 蛇足ながら、今なら「日暮」の言葉にアニメや映画を連想する若い方も多いかと思います。一つの言葉から時代によって多様な価値観や物語が生まれるのが文化であり、その変遷の中に身を置くのは面白いことですが、あまりの感覚の違いに驚くこともしばしばです。
咲きほこるヤマユリ

ビオトープ12008年 7月 24日 (木) 2時 06分
 オタマジャクシから足が出てくるまで、子供のころはすぐのように感じていたのに、今は意外と時間がかかるような気がします。身近な1uたらずの小さな池にもビオトープ空間が広がっています。
 小さな生態系の中に、3種類のカエルがやってきます。冬にやってきた黒いカエルは冬眠せずに氷の下でひと冬を越し、まっ先に卵塊を産み落とすと、次にガマガエルが産み落としていきました。その後からモリアオガエルがやってきて樹上に泡状の卵を産んでいくと、孵化したオタマジャクシが池に落ちる頃、ふたたびガマガエルがやってきて卵を食べていきます。専門的なことはわかりませんが、ガマガエル自身の卵はすでに孵化していますから、その時期を見計らってくるのでしょうか。
 さまざまなオタマジャクシの成長をせっかく楽しみに待っていても、毎日のように減っていきます。オニヤンマのヤゴ(幼生)やヤマカガシ、ヒバカリなどの蛇、ガマガエルといった他の生物が食べにくるからです。ヤマカガシを食べになのか、シロマダラのような大きいヘビもやってくるようです。さらにそれを食べるノスリなどの猛禽が寄ってくる気配がします。一方でまた新たな卵が産み落とされます。一つの生物が存在しているということは、姿は見えなくても必ずその捕食者がそばにいるということを実感します。
マムシグサの青い実
 個々の生物は自分が何によって支えられているかは知っていても、自分が何を支えているのかは気づかないままに命を終えていくのでしょう。それが生態系という限りない大小さまざまな宇宙であるとするなら、人間も案外自分の役割に気づかないまま生きているのかもしれません。些細な悩みは尽きませんが、少なくとも私と言う人間を支えてくれている人々や生物は意識すればわかります。感謝する気持ちを日々忘れないようにして過ごすようにしてから、人生は良いことばかりではないけれど、それほど悪くもないと感じられるようになりました。

花見先生を偲ぶ2008年 7月 18日 (金) 23時 04分
 7月13日、当保存会による先代の故花見先生を偲ぶ会「七回忌法要」が菩提寺である徳蔵寺で執り行われました。当日は花見先生が逝かれた日を彷彿とさせる暑さで、出棺の時のジリジリと焼けつくような強い日差しと、先生のため鷹を据えて見送った宗家の姿が思い出されました。
 本堂でお経をあげていただいた後、住職から花見先生の思い出と伝統文化を継承することへの励ましのお言葉をいただき、心が洗われるような爽やかな気持ちになりました。それからお参りと焼香、献花をさせていただきました。先生はきっと見守ってくださっているだろうから、私たちのいたらない点などもご存じだろうと思いながらも、昨年の報告をし、今後の努力を誓いました。
 その後は花見先生が御存命の折から応援してくださっている地元の方の紹介で、洋風懐石「グリル川秋」にて食事会を行いました。偲ぶ会は毎年行っていますが、このような皆の気持ちが一つになる良い機会を得られることは、ひとえに花見先生のおかげであると心より感謝しています。
先代のお墓に手を合わせる宗家

勉強2008年 7月 07日 (月) 1時 01分
 毎月実施される講習会は、鷹匠を目指す門下生たちのために基本的な内容が中心に実施されていますが、鷹匠たちにとっても交流を深める場であり、鷹師の自然に対する造詣の深いお話を伺い様々な知識を得られることも楽しみの一つです。
 講習会には見学希望の方も時々みえますが、興味があっても様々な理由から諦める、休学せざるを得ない方もいます。現在の門下生の中にも子供の頃から鷹匠になる夢をあたため続け、社会に出て時間的、経済的な余裕が出来てから満を持して入会した人もいるように、社会で多くの経験を得てから夢に向かって改めて努力をするのも、長い人生にとって有意義ではないかという気がします。そのような意味では、生涯現役で楽しめる魅力を備えているのが放鷹の良いところでしょう。
 受験勉強と異なり、大人の勉強は自分でテーマを探します。テーマは人それぞれであり、自分に課す課題も常に変化していきます。大人になってから改めて学校に行くと、優れた先生や異なる分野の若い学生の話を聞くこと自体が楽しく、直接関係のある話でなくても良い刺激になります。知りたいと思えば思うほど、自分の知らないことが世の中にいかに多いかに気づかされるものですが、一生をかけて高い目標や自分の求める志に到達できるよう目指していければいいのかなと思っています。
水辺のおたまじゃくし

梅雨2008年 7月 01日 (火) 1時 32分
 篠突く雨の日が続いており、人間の体調も乱れがちです。鷹部屋で飼育されている鷹は雨風を避けることができますが、年間を通して室内で飼うよりは、時に雨に打たれると羽根がきれいに洗われるだけでなく、羽づくろいを良くするようになります。経験のある鷹は雨の時には羽根をたたみ、なるべく内側を濡らさないようにしますし、普段の羽づくろいによって翼に脂をのせているのでそれほどビショビショにはなりません。若い鷹は天を仰いだり、羽根を広げたりしている間にすぐ濡れてしまいますが、やがて他の鷹を見て学んでいくようです
 野生の鷹は雨の中でも狩をしなければいけませんので、時には田畑のハツカネズミやハタネズミを狙う姿が見られるようです。私も街中の小さな空き地や花壇の中で何かを食べているオオタカを見かけたことがあります。こちらの視線を感じるとすぐに逃げて行きますが、気がつかない人々が傍を通り過ぎても平気でとどまっています。農家の人々が知らずに巣のある木の下で作業していても毎年そこで子育てをするように、オオタカは里山に隣接して暮らす人間にとって、昔も今も非常に身近な猛禽の一つであるように思います。
 アジサイの花(がくの部分)が散る頃には雨も上がりそうです。今年はどのような夏が訪れるのか、今から梅雨明けが待たれます。
咲き始めたばかりのアジサイ

手明2008年 6月 18日 (水) 1時 33分
 梅雨の間にのぞく晴れ間のうれしい日々が続いています。このような湿気の多い時期は、鷹も心なしか翼がじっとりと湿り、重たそうに見えるものです。
 鷹狩は、鷹と鷹匠と勢子がそれぞれの役割を理解し、三位一体となって獲物を探し、追い出すことで成功するものですが、現在の勢子は講習の際に門下生にお願いしたり、鷹匠同士が交代で担当する程度で、その数は多くありません。
 また、かつては調教の初期の段階である夜据(よずえ)において、先を行き鷹匠に前から来るものなどを教える手明(てあき)という役職がありました。手明とは手が空いている者と言うだけの意味ではなく、「燈明を手にして先を行く者」をあらわしていました。初心者はその任を果たすことによって、鷹匠として何に気をつけるべきかを学ぶ良い機会でもあったようです。当保存会では鷹匠補以下の門下生が、手明として様々な役割を果たしてくれています。
燈明に火を入れる手明と鷹匠たち(部分) (c)絵本鷹かがみ
 現在の夜据では知人や家族と出かける者もいますが、たいていは暗闇を探し求めて一人で動きます。夜中に見知らぬ人と出会うことは私も鷹も、おそらく出会う相手の方もあまり気分が良いものではないので、歩く場所は非常に限られてしまいます。

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