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御鷹場通信は諏訪流放鷹術研究所 所長のブログです
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敦賀紀行12008年 4月 30日 (水) 15時 19分
 福井県敦賀市立博物館において現在開催中の企画展『幻の敦賀鷹絵師・橋本長兵衛』(2008年4月26日〜6月1日)に協力して、諏訪流十七代宗家による講演ならびに諏訪流放鷹術の実演を実施しました。身内の都合や仕事等が重なりましたが、賛助会員が見学に足を運んでくれ、また根津鷹匠が体調不良をおして駆けつけてくれました。
 敦賀は大陸から鷹匠が来日した地として知られており、多くの文献に記録されています。渡来国や時期、鷹匠の名、その後の経緯等には異説がありますが、敦賀の港に着いたという点では一致しているようです。放鷹術伝承の経緯において諏訪流にとっても縁のある地として以前から興味のある場所ではあったのですが、訪れたのは今回が初めてでした。
敦賀市内にはかつて大陸から鷹匠が渡来し、笙(しょう)の川を上って兄鷹(しょう:雄の鷹)を手渡したといった由来から、兄鷹の橋(現在は笙の橋)と呼ばれる橋が現在も残されています。残念ながら川の流れは若干移動し、橋の姿も以前とは異なってしまいましたが、その由来に関連する史跡が残されていましたので、記念に写真を撮りました。かつては敦賀城の前に笙の川が流れており、笙の橋がかかっていたようです。敦賀城のあった場所はやがて町奉行所、敦賀県庁へと変遷し、現在は小学校になっています。
敦賀城史跡の前で
 前日に敦賀市立博物館を訪れ、説明を頂きながら、企画展を拝見しました。後世の鷹絵に多大な影響を与えたと考えられる名高い鷹絵のコレクションを鷹絵師の視点から捉えた企画展は非常に稀であり、歴史的な由来の残される敦賀で開催されたことも感慨深いものでした。また徳川記念財団、江戸東京博物館等から、鷹狩に関連した絵や銀細工も展示されておりますので、敦賀の方々にとっても貴重な機会となったことと思います。鷹に関する美術品や史料の数々を見られただけでも敦賀に来た甲斐があったと思えるほど楽しく、時間の経つのを忘れてしまうほど長くお邪魔をしてしまいました。
 鷹の表情も微笑を浮かべた鷹、力強さ、美しさが表現された鷹など様々で、興味のある方ならきっと気に入る鷹が1羽はあるでしょう。
 今回の展示では、伝徳川家光公揮ごうとされ近年確認された「架鷹図

神技奉納2008年 4月 18日 (金) 0時 54分
 4月13日、日光東照宮において諏訪流放鷹術の神技奉納を執り行いました。当日は午後から雨の予報が出ており、天候が懸念されましたが、午前の奉納時は天気が良く、午後の実演時も霧雨程度の雨の中で実施することができました。肌寒い中、傘をさしながら足を運んでくださいました、関係者の皆様ならびにご観覧くださいました観客の皆様に心より感謝申し上げます。
 今年は神技奉納の担当を宗家から指示されており、非常に神経を遣う日が続きました。予定の日に合わせて鷹をベストの状態に導くことは鷹匠の技術であり、力の見せどころでもあります。これをうまく導くためには腹の入替という、代謝の高い安定した体調を維持させる必要があります。これはいわゆるコンディショニングの状態で、調整の良し悪しは結果につながる最も大切な技術であり、鷹匠にとってもそのコツは各自各鷹によって若干異なります。
 また、実演と実猟では目的が異なるため、ベストコンディションや体調の作り方も異なります。このような鷹の体調を維持するための調整方法を肉色(しし)当てと言い、単に体重を下げれば言うことをきくというものではなく、運動・餌・鷹匠の体得技などの総合的な配慮によって成り立っているのです。
東門下五重塔前で宮司様と
 鷹を最良の状態を導くためには、鷹匠としての感覚を研ぎ澄ませなくてはならず、故花見先生は「暗闇で針の落ちる音がわかる」と表現され、田籠先生は「鷹の呼吸が聞こえる」と表現されました。表現方法は人によって様々ですが、自分の鷹のことがすべてわかるようになって初めて一体感が得られるというような意味を説明するためおっしゃったのです。私もそのような感覚を常に意識できるようになりたいと願い努力しています。
 午前中の日光東照宮「神技奉納の儀」では、鷹匠たちは二列に並び、陽明門において御祓いを受け、その後に東門前において宮司様に目録及び田籠先生お手製の鷹絵馬をお渡しし、さらに奉納品の一つである放鷹術を披露しました。
 鷹は持てる力を十分発揮してくれ、問題なく終えることができました。私は肩の荷が下りる思いと共に、鷹に心から感謝しました。鷹も奉納後は落ち着き、宮司様、さらにご観覧いただきました皆様と写真を撮り、午後の実演に向かいました。
 午後は大橋鷹匠の解説と共に、田籠先生と鷹匠、鷹匠補を中心とした放鷹術の披露を行いました。神門下生のモモアカノスリ、櫛田門下生のベンガルワシミミズクも技を披露し、新春の浜離宮放鷹術実演以降の努力の成果が顕著に表れていました。霧雨と場所の不便さもありましたが、内容的に成功裡に終えられ、満足のいく結果となりました。
 実演が終わって1時間ほどすると本格的に雨が降り出し、徐々に激しくなるようでした。
 なお、宮司様には御直会(おなおらい)を頂き、さらに丹下研三氏の設計による貴重な数々の室内装飾や鷹の絵等の美術品を見せて頂きました。御直会とは神事の後、神様にお供えした飲物、食物を頂くことによって神様のお力とお恵みを分けてもらう酒宴を意味するそうで、東照宮においては神様でもある徳川家康公の御霊を楽しませることが出来たなら、鷹匠冥利に尽きるところです。家康公の長寿にあやかり、今年一年の健康を祈念する良い機会にもなりました。

策の池2008年 4月 16日 (水) 0時 43分
 入学のシーズンを迎え、人々だけでなく、里山にも活気が溢れてきた気がします。当保存会でも門下生から希望の進学を果たしたなどの良い便りが聞かれ、慌ただしい中にも新たな気持ちで頑張ろうという気概が感じられました。
 都内での所用の折、史跡を訪れる機会がありました。新宿区荒木町にある「策の池」は、異説もありますが、徳川家康が鷹狩の帰りに策(むち)を洗ったことから、策(むち)の池と呼ばれています。鷹匠としては、それは策(ぶち)であったのではないかと想像されるところです。
その理由は、鷹狩の帰途であること、策は仏の剣とも言われるように、神聖な鷹の羽根を整える、獲物に引導を渡すなどの様々な大切な意味を持つ鷹道具であるからです。このため、乗馬用のムチを洗ったと考えるより、埃や血で汚れた鷹道具であるブチを清水で洗い清めたと考える方が自然に思われるのです。
池のほとり
 荒木町は花街の面影が残され、一歩幹線道路から外れると新宿とは思えないような静かな佇まいがありました。細く入り組んだ道が蛇のように走っており、たびたび道を尋ねたところ、地元の方にとって策の池はむしろカッパ池あるいは津の守弁天として馴染みの深いようでした。ようやく見つけた池は、すり鉢の底のような低地に、住宅街に挟まれるようにして存在していました。かつては4メートルの滝が落ちていたそうですが現在は消え、池も徐々に縮小され、水道を引いてかろうじて維持されているらしい水面は濁り、残念ながら往時の面影はあまり残されていませんでした。
それでも徳川家康が訪れたかもしれないという地を踏むことは、現在の私たちの文化が歴史の上に成り立っていることを再確認でき、灌漑深いものがありました。江戸時代この地を治めた内藤家には諏訪流鷹匠にとって面白からざる話も残されているようですが、ともかくも徳川の治世に生まれた史跡がいまだに伝えられていることを嬉しく思いました。

塒入の季節2008年 3月 27日 (木) 1時 09分
 猟期が終わり、鷹を塒に入れる(鷹部屋に入れて換羽を促す)人も増えてきました。換羽の成功は鷹匠にとって最も気にかかる点の一つであり、無用なストレスをかけないよう、伸びかかった羽根が傷まないよう、栄養のバランス等に配慮して飼育します。まだ都合があり一気に体重を上げられないのですが、それでも塒が始まりそうになる場合があり、あまり進まないように調整しなければなりません。そのぶん塒出が遅れる場合もあり、鷹のためを思うと悩みの尽きないところです。
 以前、見学にいらした若い女性に「野生の鷹は塒中も飛ぶのだから、飛ばさないのは甘やかしているのでは」と言われたことがあります。犬の散歩同様、一年中運動に連れていったら、という意味でおっしゃったようでした。が、鷹は犬のように戯れたり人間を喜ばせようとして飛んだりすることはありません。田植え中の農地などの広い場所をお借りできないことなどに加えて、野生の鷹と異なり、明け方や夕暮れなど時間帯を選んで飛ばせることが難しく、誰かに代りに散歩に行ってもらうようなこともできません。 暑さに弱い鷹の体調を維持するためにも訓練を控えるのが普通なのです。その代わり鷹部屋内で放し飼い(放し塒)にし、自由に飛ばせて傷まない羽根を作るよう心がけます。
 鷹匠としては、塒中はたっぷり餌を与えられるため、体調管理を気にせずに飼えるという安心感と、接触の機会を減らしストレスを軽減させてやりたいという思いもあります。塒中には訓練中とはまた異なる配慮が必要になるとはいえ、それでも若干開放的な気分になります。溜まった仕事に集中し、必要な作業を行うためにも、オフシーズンは貴重な数ヶ月と言えるでしょう。
昨年の桜
 鷹はほとんどの期間を単独で過ごすためか、用も無く構って欲しくないという雰囲気があるように思います。止まり木にただとまっているようでもいつも神経を周囲に張り巡らせているので、こちらを意識しないよう、視線を感じてもあえてその存在に気がつかないような自然な態度をとるようにしてやります。動物によって快適に感じる距離感や接し方がありますので、それを理解してあげることも思いやりだと思います。

弥生2008年 3月 17日 (月) 0時 33分
 草木が芽吹き梅の咲きほこる季節になりました。真冬でも水浴したがる鷹の羽根が夜間に凍ってしまうのを気にする必要はなくなりましたが、花粉症の人間にとっては辛い季節の到来でもあります。鷹は花粉症にならないのか、辛そうではない姿を見ることは救いと言えるかもしれません。
 門下生のために毎月1回行う講習会ですが、今月は特別に宗家の紹介で埼玉鴨場を見学に伺うことができました。宗家には初めて先代の花見先生とお会いした時の感動を皆に伝えたいという思いと、歴史の一端を実体験してもらいたいという配慮があったようです。今回は門下生だけでなく賛助会員、名誉会員も招いての見学会になりました。
 私たちは最初にビデオによる説明を受けた後、埼玉鴨場場長、関根さんのご案内で鴨場内の引堀や元溜を見せて頂きました。現在でも東京都の浜離宮恩賜庭園や香川県の栗林公園などで復元された引堀を見ることができますが、実際に機能している状態を見ることによってより具体的なイメージとなって理解することができました。鴨猟という目的のために機能的に構成された敷地内は非常に美しく、里山の生活感と異なり独特の静謐さが漂う風情は、規模は異なりますが、かつて将軍家のために用意された御拳場を想像させるものでした。また、もう一つの宮内庁所管の鴨場である新浜鴨場より広いため、開放感も感じられました。現在の鴨猟では捕えた鴨に調査用の足環をつけて放鳥するため、鷹匠による「洩れを防ぐ」という仕事は中断されていますが、非常に良く管理されており、再開できる下地は十分整っているように感じられました。
正門前
 その後、関根さんが用意してくださった御鷹道具を拝見しながら、貴重なお話を沢山伺うことができました。不躾ながらこの場をお借りして、予定の時間を過ぎるほど懇切丁寧に説明してくださった、関根さんならびに埼玉鴨場の関係者の皆様に篤く御礼申し上げます。門下生たちは鴨場の機能や歴史を良く理解し、歴史ある日本の伝統文化を継承していくことに改めて誇りを覚えると共に、江戸時代から宮内庁にかけて保存されてきた貴重な放鷹文化が復興され、後世に伝承されていくことを願って鴨場を後にしました。


風渡る2008年 2月 25日 (月) 5時 44分
 17日、美里公民館まつりに伺いました。小雪のチラつく非常に寒い日でしたが、ご観覧いただきました皆様には心より感謝申し上げます。主催者の方々からは当日の朝に採れたばかりのブロッコリーなどのお土産を沢山いただきました。
調整を見守る宗家
鷹の鳥2008年 2月 21日 (木) 20時 25分
 2月15日、猟期が終わりました。最終日は天気の良く暖かい一日で、新しい農期の準備に入る方々が出ていらしたので、挨拶をしながら里山を廻らせてもらいました。狩に出た時の鷹は眼つきも鋭くなり、訓練中の飛び方からは予想できないような切れのある動きを見せてくれるようになります。私の鷹も諸塒(もろとや:2回換羽すること)を重ね、鷹自身の体得した技も日々進歩して来たように感じられ、私自身も体得した身体技法を意識しながら改善を行ってきました。
 門下生たちは日頃宗家から指導していただいたように、鷹の能力を引き出す方法を工夫しながら狩場を廻りました。この日は根津鷹匠がキジを、私も苦労の末にコジュケイを捕らせることができました。
 鷹が捕った獲物のことを「鷹の鳥」と言いますが、特にキジを指す場合が多く、キジは獲物となる動物の中では位の高い鳥の一つと考えられています。獲物を献上する際、四季折々の枝に獲物を結ぶことを鳥柴(としば)と言いますが、その多くはキジであり、諏訪大社の贄鷹の神事においてもキジを奉納するのが常でした。
せりあがりカルガモに爪を立てる鷹
 諏訪流鷹匠にとっては、獲物を捕ることよりも「いかに追い、いかに捕ったか」が気になるものです。獲物が捕れてもそれが人鷹一体の技に感じられなかったり、羽合(あわせ)拳でなかったりする場合、鷹匠としての反省が先に立ってしまうことが多々あります。門下生たちからは良い報告が聞かれましたが、同時にもっと鷹の技を引き出せたのに、もっと早く羽合せていれば、など来期への課題を各自が立てて今期の猟を終えました。
 いずれにしても獲物を捕ることによって鷹は自信を持ち、獲物の押さえ方を学びます。自信を持った鷹は、次第に力強さや鷹らしい気品に満ちてきますから不思議です。そのような鷹の姿は、非常に誇らしく感じられます。

鷹に似る2008年 2月 13日 (水) 1時 05分
2月に入って関東にも雪が降りました。東北生まれの母はいくつになっても嬉々として大きな雪だるまを作り、私が目覚める頃には玄関にできあがっています。そんな母を見ていると、苦労もありましたが楽しい記憶を集めて生きるのがうまく、人生の過ごし方のうまい人なのではないかなあ、などと感じます。
鷹は寒さには暑さよりは比較的強いですが、初めての雪にはとまどう場合もあります。眠れぬ一夜を過ごした鷹は、車内の暖かさに移動中にうたた寝をしたりすることもあります。花見先生は訓練を終えた鷹が拳の上でうたた寝するようになる姿をかわいいものだとおっしゃっていたそうです。私の記憶に残る一羽の鷹は、そろそろ訓練場所に着いたかな、と思われる頃になると信号が止まるごとに扉をわずかにカリカリと足で引っ掻いて「まだか」というような合図をしました。おそらくいつも車に乗ってから1時間程度で訓練場所に着いていたからでしょう。しかしそれを過ぎても車が止まらないようだと、長旅になることに気が付くのか辛抱強く静かに待っていました。長くつきあうと彼らの情緒の豊かさに気が付かされることがしばしばです。
鷹は鷹匠(飼い主)に似る、と良く言われます。鷹匠が犬を嫌えば鷹もその気配を察して犬を嫌うようになり、鷹匠が神経質であれば鷹もますます神経過敏になるという具合です。泰然自若とした鷹になってもらうためには、まず鷹匠がそのように努め、鷹に似るように歩み寄りたいと思うものです。
カメラを意識する鷹

御捉飼場2008年 2月 03日 (日) 23時 26分
 鷹の訓練場所を、江戸時代は御捉飼場と称して、将軍の狩場である御拳場と区別していました。鷹匠は訓練が一通り終わったからといって休んで良いわけではなく、将軍の御成がある日まで、毎日鷹の調整に努めるのが仕事でした。
 鷹の訓練場所は、犬や子供といった鷹を驚かせる対象が通らず、ほどよく見通しが利き、強い風を避けられる防風林と適度に鷹がとまりやすい懐の開いた古木のある所などが理想的です。が、現在はそのようなちょっとした空き地を探すことも容易ではありません。
 かつてイギリスから来日した鷹匠が、日本の里山は送電線だらけで、その電線の交差する風景に現代的な風景を感じたらしく、写真を沢山撮っていかれました。荒れ果てた里山に放置された産業廃棄物、河川に浮かぶゴミ、また野ネコによる卵や雛の被害などについて、世界的に類似した状況が見られるともおっしゃっていました。
舞い上がる鷹
 獲物を追う途中で車にはねられる鷹も少なくない現代では、若い鷹の訓練中は特に未熟な動きをするため、なるべく安全な場所を選ばなくてはいけません。子供のころは凧揚げを路上や空き地で行ったものですが今はそのような遊びも伝承しづらい世の中なのかなと思います。

鷹匠2008年 2月 01日 (金) 0時 28分
本年の「諏訪流放鷹術一般公開」を1月26日に実施し、諏訪流鷹匠認定試験にたった1人挑戦してくれた根津鷹匠補が見事、合格を果たしました。試験までの数日間、雪や風の強い日が続き体調の管理と訓練の兼ね合いが難しく、またプレッシャーもあったかと思いますが、平常心で臨み日頃の努力の成果を見せてくれました。これを出発点としてさらに高いレベルを目指して頑張ってくれることと思います。交通の不便な場所でありながら、多くの方に足を運んで頂き、篤く御礼申し上げます。
鷹匠になるという事は、宗家もおっしゃるように「文化の橋渡し役」として責任を担うということであり、鷹に対する扱い方から一つ一つの技の所作に至るまで、「見せる」という行為そのものが文化の一端を表現しているということでもあります。
鷹匠も鷹も生き物ですから、様々な個性があり、得意・不得意もあります。同じ繁殖者、同じ親の雛でも気性や能力に差があります。それでも共に良い指導者から学び、毎日努力を続ければ多くの経験から日々少しずつ変わっていきます。鷹自身が気づき、変化していく様子を見守るには長い忍耐が必要です。が、そこから得られる体験は鷹匠にとっても非常に貴重であり、お互いに成長していくことは喜びの一つと言えるかもしれません。
試験中の根津鷹匠
鷹匠としては、切れのある技を体得する、鷹の心を読む感受性を高める、フィールドでの歩き方や戦略を考察するなど、今後も多くの課題が山積し、師範を目指す者にはさらなる課題が与えられます。本業でもないものにどうしてそこまでこだわり、精力を傾けられるのか不思議に思われるかもしれませんが、それが「生きがい」の魅力であり、どの世界でも言えることなのでしょう。その対象が何であれ、夢中になれる何かを通して成長していけるということは辛いことも多いですが、楽しいものでもありますね。

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